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ふつぞん

amazon.frで注文していたDVDが届いた。初めての利用でビビっていたので、購入したのは二枚だけ。Les Amours d'Astrée et de Céladon『我が至上の愛 アストレとセラドン』とLes Herbes Folles『風にそよぐ草』。届いた日の夜にLes Herbes Follesをちょっとだけ、ほんとに10分くらいだけ観るつもりだったのに、気付いたら40分近く観ててびっくりした。やっぱり面白い。冒頭の靴屋さんはマーク・ジェイコブスだったこと、ジョルジュが映画館に入るシーンの街並みはセットだったことに気付きました。最初に観たときは普通にロケだと思っていた。おばかさん・・・
仏語字幕をつけて、聞き取りの練習を兼ねながらじっくり楽しみたいとおもいます。次はamazonでサーク『ぼくの彼女はどこ?』を手に入れたい!!

『インセプション』(クリストファー・ノーラン)

上映終了間際に駆け込み。すでに見た友人に感想を訊ねるとたった四文字、「微妙・・・」とだけ返されてしまったのであまり期待せずに見に行ったけど、普通に楽しめたから良かった。
夢と現実という二つの世界ではなく「夢の夢」という複雑な構造を持った作品でありながら、それぞれの世界における時間の流れ方をずらすことでスッキリと展開させていた。この「解りやすさ」は時間の流れ、それぞれの夢の連動を登場人物による小難しい解説だけではなくて揺れやスローモーション、次第に滲み出す血など視覚的なものでも示していたからだと思う。その一方でラストは少しわかりにくい、というか幾つか解釈できる終り方になっていて、そこらへんのバランスは良いと思った。そして一瞬だけ映し出される老いた男女の、線路の上で繋がれた皺くちゃの手に感動(その前に映し出された線路の上の若い二人のイメージは誰のイメージだったのか?罪の意識に苛まれ、共に年を取ったことを忘れてしまったコブのイメージ?)。

見てる途中で「この肩幅の狭い男は、もしや・・・!!!」と、コブの相棒アーサーを演じていたのが『(500)日のサマー』主人公のトム(ジョセフ=ゴードン・レヴィット)であることに気付いて一人静かに興奮。キリアン・マーフィーかっこいい。

『ウルトラミラクルラブストーリー』(横浜聡子)

脳みそ投げるラストまで持って行きたいがあまりに、後半がぽんぽんぽーーーんって進んでしまっている印象。ARATAの低音ヴォイスは相変わらずかっこよくて鳥肌が立ったのですが、しかし要と陽人の会話は必要だったのでしょうか?靴はいていれば十分だった気がする。ホリケンを超えた松ケンと子供たちはとても良かった。

山中貞雄

カッティング・イン・アクションの例として大学の授業で観た『人情紙風船』は3年ぶりに観てもやはり美しく儚げで、観客は手紙の内容もなぜ侍が貧乏なのかも知らないのだけれども、しかし二人が住む部屋に紙風船が転がってるだけで物語的要素は十分なのだと思った。

『百万両の壺』こちらも授業で部分的に観ていた作品。もう何もかもが好きだけど、特に大河内伝次郎の歩き方が良い。wiki先生にはこんな写真が載っていて、びっくりしました。モダーンやーん。

8月はほんっとにふさぎ込んでいて、「だめだ、フランス行きたい・・・」とつぶやきながら特に勉強もせず映画観てバイトして・・・みたいな生活で、このままには人生ダメになると思ったので心機一転する為に携帯変えました。どんな理由だ。

人生どうなるんだろう、と考え出すとどうしてもネガティブな方向にしか考えることができません。そういうもんだろうか。ボヴァリー夫人

『冷たい雨に撃て、約束の銃弾を』(ジョニー・トー)

ホモソーシャルの世界から一歩出た作品ではあるが、フリスビーが飛んだりスローモーションばんばん使ったり、ご飯を食べたり、良い意味で「いつものジョニー・トー作品だよね」って感じ。しかしどんなにかっちょいいアクションシーンよりも、記憶を失ったコステロが海辺で子供たちに駆け寄り、殺し屋達とは違う道を歩く姿を俯瞰で撮ったショットが一番印象に残ってる。
あと、コステロが着てたバーバリーのコートがものすごく素敵だった!襟の高さや形だけでなくコート全体のパターンも、もう全部がツボだった。自分が男だったらすぐさま注文したな・・・借金してでも買ったと思う。

『緋牡丹博徒 花札勝負』(加藤泰)

ブラボー。吹奏楽やってると良い演奏を「ブラボー」の一言で片付けてしまうことが多いんですけど。もうブラボー、としか言いようが無い。目の見えない少女の母が男女をかばって後ろから刺されるシーンや、腹を斬られた西之丸の親分の着物から血がにじみ出るシーンでは誰の血が強調されるべきかちゃんと考えられた演出がなされてる。これ当たり前の事のようだけど、ジャンルの性質上バンバン血が流れる任侠ものでここまできちんとメリハリつけてる作品は珍しいと思う。あと、手術を終えた少女と藤純子が会話するシーンは異様。二人の表情をワンカットに収められないなら普通は切り返したり構図を変えそうだが、加藤泰は光を手に入れた少女の顔を一切撮らずに藤純子の顔のみを撮っている。カットを割らないことでお竜の表情の変化を魅力的に収めているんだけど、その為に「少女を撮らない」っていう選択肢が監督の中に存在していることに驚く。とにかく普通じゃない。

列車が走る橋の下、しんしんと雪が降るなか寒そうに上着を肩にかけた高倉健が「春になって桜が咲く頃には・・・」と言いながら少女のための絵本を手渡すシーンでは号泣。列車が通るたびに白い煙が橋の下へ降りてきて、とても美しかった。素晴しいセット。