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朝から労働し、昼にさささっと喪服に着替えて昨日亡くなった高校時代の恩師の告別式へ。まだ53歳だった。
最後に会ったのは一年前、高校の創立記念芸術祭リハーサル中のステージ裏だった。地元だけでなくドイツや東京から出演のため駆けつけた同期たちとおしゃべりをしながら私がマラルメについて卒論を書いていると言うと「僕は文学はわからないから」とおっしゃったので、「ドビュッシーの《牧神の午後への前奏曲》の基になった詩の音楽性について論じる予定です」と言うと先生はとっても喜んでくれた。
「教え子たちが頑張っているのが、ほんとうに嬉しい」と良いながら涙を流す先生を私は直視できなかった。なぜなら病気のため義眼を入れていた先生を見るのが辛かったから。そして私の卒論はそのときまだ白紙の状態で、英語と仏語の先行研究にあたるので精一杯で、構成すら決まっていなかったからだ。自己嫌悪で一杯だった。
先生、わたしね、ぜんぜんダメなんです。実力ないのにマラルメなんか選んじゃって。心の中でそう思いながら困惑しつつも、何故だかホッとして、肩の荷がおりたような感覚があった。その日の夜に東京へ戻ると不思議なことに、それまで全く決まらなかった構成がすうっと整いはじめた。これは先生のおかげだと思っている。
そもそも吹奏楽部に入らなければ私は東京なんか行かなかったし、たぶん大学進学もしていなかったから卒論も書いていなかったはずだ。高校一年生のときに音楽室で聴いたドビュッシーの《海》が私のすべてを変えたのだ。「うみ」la merという単語がもたらす以上のイメージを想起させたおそろしい音の集合が、つまりことばへの失望が、音楽への畏れが私を仏文科へと導いたのだった。そこで映画と出会い、伊藤先生の授業を通じて「それでも言葉で語らなければならないんだ」と私は決意した。

結局、完成した卒業論文を手渡すことはできなかった。でもきっと天国で読んでくれているはず。私はまだまだ書くのが下手だけど、これからも言葉で思考して言葉で何かを伝える人間を目指します。先生、ありがとうございました。たくさんのステージを、たくさんの出会いを。
les mains.