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東京滞在記 一日目

前日最終便で東京に着き、さっそく早起きして大学時代のバイト先へ。忘れられてるかなーと思ったけど、みんなちゃんと覚えてくれてたから安心した。大学に近い高幡不動はほんとうに落ち着きます。駅を出てお店まで向かう道の途中にある川の辺りでは空が高くたかく、とっても大きく見えるから気持ちがいい。お店では「かわいくなったね!」と三回も言われたので満足。笑
一時間半ほどコーヒー飲んでゆっくりして、そのあとは大学へ。なんか学生のころの気持ちになっちゃって。「ああ、今日火曜日だからゼミだな」みたいな、あまりの普通っぷりが面白かった。生協の紀伊国屋レーベルセールでファスビンダーBOXを捕獲しようか迷ってると、ダブって在学中の友人が来てくれたので一緒にランチ。お冷で乾杯。ジャンバラヤカレーの味が懐かしすぎる。友人から「やぱりお前クレイジーだな」と言われる。お前に言われたくないぞ。
二時間も喋ってしまったので『クリスマス・ストーリー』に間に合わず、結局ユーロスペースで『ゲゲゲの女房』を観る。靴下を脱いだり、帯をひっぱったり、吹石一恵がとにかく良い。国税局の役人が家を訪れる場面はドラマとは比較できないほど良いシーンだった。

朝から労働し、昼にさささっと喪服に着替えて昨日亡くなった高校時代の恩師の告別式へ。まだ53歳だった。
最後に会ったのは一年前、高校の創立記念芸術祭リハーサル中のステージ裏だった。地元だけでなくドイツや東京から出演のため駆けつけた同期たちとおしゃべりをしながら私がマラルメについて卒論を書いていると言うと「僕は文学はわからないから」とおっしゃったので、「ドビュッシーの《牧神の午後への前奏曲》の基になった詩の音楽性について論じる予定です」と言うと先生はとっても喜んでくれた。
「教え子たちが頑張っているのが、ほんとうに嬉しい」と良いながら涙を流す先生を私は直視できなかった。なぜなら病気のため義眼を入れていた先生を見るのが辛かったから。そして私の卒論はそのときまだ白紙の状態で、英語と仏語の先行研究にあたるので精一杯で、構成すら決まっていなかったからだ。自己嫌悪で一杯だった。
先生、わたしね、ぜんぜんダメなんです。実力ないのにマラルメなんか選んじゃって。心の中でそう思いながら困惑しつつも、何故だかホッとして、肩の荷がおりたような感覚があった。その日の夜に東京へ戻ると不思議なことに、それまで全く決まらなかった構成がすうっと整いはじめた。これは先生のおかげだと思っている。
そもそも吹奏楽部に入らなければ私は東京なんか行かなかったし、たぶん大学進学もしていなかったから卒論も書いていなかったはずだ。高校一年生のときに音楽室で聴いたドビュッシーの《海》が私のすべてを変えたのだ。「うみ」la merという単語がもたらす以上のイメージを想起させたおそろしい音の集合が、つまりことばへの失望が、音楽への畏れが私を仏文科へと導いたのだった。そこで映画と出会い、伊藤先生の授業を通じて「それでも言葉で語らなければならないんだ」と私は決意した。

結局、完成した卒業論文を手渡すことはできなかった。でもきっと天国で読んでくれているはず。私はまだまだ書くのが下手だけど、これからも言葉で思考して言葉で何かを伝える人間を目指します。先生、ありがとうございました。たくさんのステージを、たくさんの出会いを。
les mains.

といっくおわった

きのうはTOEICでした。仏検の一週間あとにtoeicなんて、ほんとに無理なスケジュールを組んでしまったなぁと後悔していたけど、へろへろになりながら頑張りました。えへへ。年明けにもう一回受験しようかなぁと思っています。リスニング対策に力を入れればもっとスコア伸びそう。
一週間後には久々の東京です。いまのところゴダールストローブ=ユイレ、小津を見に行こうと思っているけど(やれやれ、なんてラインナップだ)、時間があればデプレシャン『クリスマス・ストーリー』も見直したい。せっかくの12月だしね! あとは年賀状買って、今年で閉店する渋谷のヤマハに行って、大学時代のバイト先に遊びに行くのだ。ちゃんと家探しもします。

ひとだんらく

仏検一次試験。意味わかめなスペルミスで点落としたのがとっても痛い。ばかばかばかばか。去年は仏語の論文読んだり院の受験もあったからけっこう語彙は増えたかなぁと思っていたけど、やはり仏検仏検でそれなりに対策しないとダメだということがわかった。反省。一次試験はギリギリ通ってると思うから、来週のtoeicが終わったら二次の面接対策を始めます。
それにしても、一段落して気持ちがスッキリ!明日は化粧下地とチークブラシを買おう。良いのが見つかればスニーカーもね。ファンタズマのリマスター初回盤はまだ売ってるかしら。

『味見したい人妻たち』(城定秀夫)

初監督作品とは思えないクオリティの高さと、すでに作風が確立されていたことに驚いた。はじめっから映画に対して明確なヴィジョンを持っていたということなのか。高校生役の男の子の髪型のせいですっごく古く感じたけど、2003年の作品ですって。

で、映画観たついでにちょっと城定監督のブログ覗いて「いいなぁ」と思ったのが2010年7月8日のエントリー。リンク貼っていいのかよくわからないから貼らないけど。jojoファンだけでなく「映画がすきだ」と思ってるすべてのひとに読んでもらいたい記事。

「『黙過』から『共苦』へ」

ことしの6月ごろに読み始めて、しかし気付けば数ヶ月もほったらかしにしていたドストエフスキーカラマーゾフの兄弟』を再び読み始めました。新潮文庫の下巻から。週刊読書人に掲載されていた亀山郁夫さんの講演会採録を読んだのがきっかけで再びページをめくったのですが、いま読むと面白いし前よりもスラスラ読める。不思議です。
講演会のなかで亀山さんが『悪霊』新訳について、原稿用紙の時代よりもワープロを使う今の方が稿数が増え、4稿、5稿と重ねるうちにより作品の内側に入り込んだ訳ができると語っていたのが印象的だった。ほほう。でも、内側に入り込んでいいのかしら、ドストエフスキーになってしまっていいの?とも思う。

CONNAISSEZ-VOUS CHABROL?

カイエのシャブロル追悼号が届きました。とても状態のいいものを送ってくれてどうもありがとうございます、紀伊国屋書店さま。

表紙に書かれた「あなたはシャブロルを知っているか」の文字、画像で見ると少し解りづらいけど、実際は昔のカイエの表紙を思わせるイエローでちょっと良い感じ。試験終わったらじっくり読みます。

「行きたいけど行けない・・・会いたいけど会えない・・・」といじけるだけなので、東京の講演会情報はぜったいにチェックしないようにしていましたが、魔が差して久々に覘いてしまった東大の仏文科HPで絶望的な情報が。会いたかったよ、ヴィアゼムスキー・・・ http://www.l.u-tokyo.ac.jp/futsubun/news/wp-content/uploads/2010/10/201011181.pdf(pdf)