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FiFi!!

ちょうど一年ぶりのN響定期公演。『展覧会の絵』が大好きというわけではないんだけれども、打楽器セクションのすばらしい演奏に目を涙で潤ませる。いつもいつもN響の演奏を聴く度に、「打楽器をやっていて良かったなぁ」と幸せな気持ちになれる。楽曲、オケに合った的確なサウンドは「これ以外考えられない!」と思うほど。特に植松さんの演奏が私は大好き。植松さんと同時代にうまれ、生で演奏を聴けることは本当に幸運です。
夕方には日仏で『フィフィ・マルタンガル』。思えば、ユーロスペースでの「ジャック・ロジエのバカンス」からもちょうど一年じゃないか!!英語字幕がなくて所々キツかったけど、なんとか楽しめました。「ロジエって、こんな切り返しするんだ」と思ったシーンがあったんだけど、仏語についてゆくのに精一杯でどのシーンだったか忘れちゃった。

バルザックをばかにすると殺すわよ

すこし早起きして『大きなアパルトマンにて』(パスカル・トマ、2006年、仏)@日仏。虚構と現実のゆらぎの中で自由に、というか彷徨いながら暮らす人々。ピエール・アルディティがブッ飛んでて素敵。
映画のあとは久々の上野。国立博物館で兎年にちなんだ展示ブースがあって覗いてみたら、ウサギの仮剥製(本物のように形作られたものではなく、皮だけがびろーんってなってるやつ)が展示されててあせった。
夕方にはふたたび『ゴダール・ソシアリスム』。初見時ほど大きな衝撃はなかった。けれども、冷静になって観ると第一楽章の圧倒的な海の美しさと、マルタン家を描いた第二楽章に感動した。フロリーヌとリュシアンはゴダールの子供だ、と思う。「ノー・コメント」と突き放しつつも決して冷たくはないゴダールのまなざし。カモメの鳴き声とも男の笑い声ともつかない音や変化する定位など、方法(異なるふたつの対峙だけでなく変化を伴う持続的な横滑り)だけみれば、別に目新しくはない。でもなぜだか「良い」と思える。
映画の帰り、泊めてもらってる友人から「トイレ壊れたから、外で済ませて帰ってきて」との連絡。私が壊したのかと一瞬あせる。22時から修理作業始めて、終わったのは26時でした・・・修理のお兄さん、どうもありがとう。

『ゴダール・ソシアリスム』(ジャン=リュック・ゴダール、2010年)

ついにゴダールの新作を観てしまった。映画を観るようになって四年経ったいま、はじめて。
私が映画を見るようになったのは2007年で、そのときすでに前作『アワーミュージック』から三年が経っていた。だからジャン=リュック・ゴダールという監督は私たちと同じ時間を生きているはずなのに、ホークスやヒッチコックと同じような存在だった。過去の巨匠。彼の作品はいつも私のうしろに存在していた。2010年の春に『SOCIALISM』という仮タイトルでyoutubeにアップされた予告編を観たとき、世界がひっくりかえる程の衝撃を受けた。やっと、ゴダールに追いついた、と思った。いや、「やっと映画に追いついた」という言い方のほうが正確だろう。
カンヌのプレスシートか何かで「三楽章から成る交響曲」というような文句が書かれていたから、この作品が三つのパートから成るもので、なんらかのテーマがあるんだろうな、くらいには思っていた。けれども実際に観て「交響曲のようだ」と感じたのは、観続けてゆくうちに繰り返し画面に映し出されるイメージや言葉の「既視感」が、交響曲でテーマの変奏を聴いたときの感覚ととてもよく似ていたからであった。きっちりとパート分けされ、三つの王国が『アワーミュージック』というタイトルのもと一つにまとめられた前作とは大きく異なる点であり、かつ本作が人々を感動させるのがこの「緩やかなつながり」ではないだろうか。たとえば第一楽章でも引用された『地中海』『アレクサンダー大王』が終楽章でも再び引用される。「ああ、ドイツよ」「歓迎する(êtreは不在を強調する)」といった言葉も同様に、楽章をまたいで語られる。ラスト、ふいに現れるアリッサと首飾り。モティーフに支えられて緩やかに結ばれるのは各楽章だけでない。オデッサの階段マルタン家は過去と現在を結びつける。ピアノの強打は前作の王国?と今作を結びつける。ある一つのおおきなテーマではなく、複数のモティーフによって様々な要素がゆるやかに繋がるということ。上手くは言えないけれども、『ゴダール・ソシアリスム』は確かに交響曲だった。

イメージは魂の純粋な創造物だ。それは比較からではなく、多かれ少なかれ遠く離れた二つのリアリティーの和解から生まれる。その二つのリアリティーの間の結びつきが、かけ離れていて、かつ真実であるほど、イメージは強力になる。(『ゴダールリア王』)

翌日、再見したときはこの「既視感」はだいぶ希薄になってしまっていたけど、初見時の感動はとにかく凄かった。多くの人々とゴダールの新作の感動を共有できることを本当に嬉しく思っています。よかったよかった。

Carmen revinet au pays

年末に高峰秀子が亡くなったと知ったときは一瞬「えっ!」と驚いただけだったけど、数日経った今日『稲妻』と『二十四の瞳』を観て、なんだかしんみりした気分になっています。大好きな女優さん、というより大好きな女の子でした。『放浪記』では彼女の演じる林芙美子に圧倒されたし、『乱れる』で雨の日にぼんやりと店の外を眺める様子がたまらなく好きだった。『二十四の瞳』で教え子からのプレゼントを見つけた彼女の泣き方。チャーミングで瞳がキラキラしていて、ハイカラで、フレンチスリーブのシャツが良く似合うデコちゃん。これからも、ときめきながら見続けます。

初校

紀要に掲載してもらう卒論要旨のゲラが届きました。10ページ程度とはいえ自分の文章が紀要の体裁で編集されてるし、「初校」ってスタンプが押されてあったりで、物凄く感動した。頑張って良かった。ちょっと抱きしめたもん(シワがつかない程度に)。完成して本のかたちになって届いたときには、失神してしまうかもしれない。ああ、もうとにかく感激や・・・

初めてハローワークに行ってきました。エクセルとかpcスキルアップのための講座とか紹介してもらおうと思ったんだけど、公務員試験の受験もあるし、ちょうどいい時間&レヴェルのプログラムが無かった。残念。
時事でおなじみのジョブカフェで就活関連の本を読んでいたら、それまで全っ然聴いていなかった部屋に流れる音楽の「あれから僕はいくつの夢を見てきたのだろう」(中島美嘉、WILL)という歌詞がバッと耳に飛び込んできて、思わず泣きそうになった。お恥ずかしい話ですけど。
去年一年間、私はいくつ夢を見たかな。今年の夢はひとつだけ。大学で働きたいです。

2010年をふりかえって

2010年は自分にとって大きな一年になりました。まず大学院入試。試験当日の1月23日、問題用紙をめくった時にこれまでの「点」が少しずつつながって一つの「線」を形作るのを感じた。結局二次で落ちて合格することはできなかったけど、沢山苦しんだし、ほんとうに貴重な体験だった。信じるということを学んだ。
そして卒業旅行で訪れたパリでの、夢のような出来事の数々。一生の思い出です。そして、この素敵な思い出を一番語りたい人に伝えられないという苦しさも味わった。

映画は、田舎に帰ってからはあまり観れなくなってしまったけれど、ツタヤで小津や成瀬、ヒッチコックをよく借りてきて精神的な支えにしていました。自分の気持ちが不安定なとき、映画の光が正しい方向を照らしてくれた。特に『ナイト&デイ』には感謝しています。ありがとう。
ということで、2010年のベスト10。今年初めて観た作品の中から選びました。過去に公開された作品も、新作も、ぜんぶまとめて。
1、『ナイト&デイ』(ジェームズ・マンゴールド
2、『オルエットの方へ』(ジャック・ロジェ
3、『ミレニアム・マンボ』(ホウ・シャオシェン
4、『くりぃむレモン 旅のおわり』(前田弘二)
5、『ローラーガールズ・ダイアリー』(ドリュー・バリモア
6、『アダルトビデオができるまで』(城定秀夫)
7、『風にそよぐ草』(アラン・レネ
8、『12モンキーズ』(テリー・ギリアム
9、『緋牡丹博徒 花札勝負』(加藤泰
10、『丹下左膳余話 百萬両の壷』(山中貞雄

2010年に撮った写真のうち、特に気に入っている一枚。マラルメ記念館の向かいのセーヌ川。わたしが、あの日あの場所で川を眺めた記録。とても良い場所だった。

2011年は、はやく仕事きめてまた楽器やりたいな!!ティンパニ叩きたくてウズウズしている。ステージに立ちたい。