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「つなみってよくばりだな」

きのう買った本。

幼稚園から高校まで、被災したこども達の作文集。直筆で掲載されている作文も多数あります。そこらへのんの大人が書いた文章よりもよっぽどリズムが独特で、読んでいて飽きません。相当なショックを受けたはずなのにみんな前向きに、家族やボランティアなど周りの人間への感謝を忘れずに生きてゆこうとしているのがよくわかる。おすすめ。

水道橋の下を神田川が流れる

夏がきたな、と思わずにはいられない、暑いあつい一日だった。渋谷から後楽園まで歩いたのだけれども、人や街を眺めながらただひたすら歩くのはほんとうに楽しかった。四谷、飯田橋あたりを歩きながら「ああ、東京は川が流れるまちなんだなぁ」としみじみと思った。学生時代は多摩に住んでいたから何とも思わなかったけれど。川は良い。海や湖だって素敵だけど、川というものは流れがある。水が流れるし、街を流れる。
母校の後楽園キャンパスは相変わらず不思議な雰囲気。おととしの学会以来だな。建物は多摩とぜんぜん違うのに、中の掲示板とか案内が多摩と同じだったりするから、とっても違和感がある。

筆記試験がひと段落したので映画にいきたいけど、なんだか気分が乗らない。きのうだっけか、報道ステーションで古館さんが「生きるということは、辛いことです。常に悲しみがつきまといます」というような事を言っていて、少し気持ちが楽になった。当たり前のことだけど、だれでも苦しむし、だれでも悲しむ。しかしそれでも生きる。

和合亮一『詩ノ黙礼』を書店で立ち読み。おそらく何十年、何百年経っても読まれるであろう言葉たち。「高台へ…」と最後まで呼びかけながら死んでいった女の子の、澄んだ美しい声が頁から聞こえてくるようだった。
まだこの書物を手に入れる心の余裕が無い。

『古奈子は男選びが悪い』

先週末、渋谷のツタヤがレンタル100円だったので色々借りてきました。棚の前で選んでいるときの幸せといったら、軽く歌って踊りたくなる程。ルビッチの『生きるべきか死ぬべきか』を狙っていたんだけど、全部レンタル中で借りれず…しかし「ルビッチ選んでるひとがこんなにたくさんいるのか」と思うと気分はいい。もの凄くいいぜ!

『古奈子は男選びが悪い』(前田弘二作品集2005-2006)■行き場のない高校生カップルの壊れかけの輝きを長回しで丁寧に撮った『くりぃむレモン 旅のおわり』と良い意味で対照的な奔放さ。フレーム外にのびのびと世界が開かれている、という印象。動物園のシーンは思わず「何だよ、それ」と言いたくなるような、ちょっとホン・サンスの笑いに近い部分もありました。『くりぃむレモン』の印象が強かったので、ちょっと意外。■短編『女』、黒の下着にTシャツ姿の和子の、登場の仕方が凄い。というか尋常ではない。これは色んな人にびっくりしてもらいたい。■短編『鵜野』不条理っぷりがたまらん。この作品でも吉岡睦雄さんの現れ方が素敵。ただ普通に喫茶店の椅子に座っているだけなんだけど、フレームやつなぎ、時間を使ってきちんと映画的なおもしろさに変換してしまう。

『女は男の未来だ』(ホン・サンス、2004)■物語らしき筋は『夜と昼』以上に放棄されてて、ホン・サンス独特の面白さはあるんだけど、ちょっと物足りなく感じました。『ha ha ha』の公開まだかしら…

そのほかルビッチ『青髭八人目の妻』、ホークス『ハタリ!』、ブレッソン田舎司祭の日記』などなど。ジョン・ウェインす・て・き…

マラルメと大戦

ずっと買えなかった岩波文庫マラルメ詩集』(鈴木信太郎訳、1963年)を筆記試験ついでに母校の生協で購入。筑摩の世界文学大系マラルメ・ヴェルレエヌ・ランボオ』にも鈴木訳のマラルメの詩があったと思うけど、やはり文庫だと手軽に読めて良い。邦訳だけで読むと「原文どんなんだっけ?」と気になってイライラするのがアレですけど、「半獣神の午後」は幸い暗記していたのでストレスフリー。一行目の改行あとの《 Si clair, 》が置かれる場所に「叢(むら)がる」という語を置いていることには驚いたし、「夢幻に耽りしか」という響きはとても素敵だと思った。
あとがきでは訳者が第二次世界大戦中に苦労しながらマラルメについての資料を集めたエピソードが綴られており、マラルメと大戦という結びつきに心を揺さぶられた。そうか、あの時代の日本でマラルメの跡を必死に追い求めたひとがいたのか。アンリ・モンドールの『マラルメ伝』をドイツ占領下のパリから日本へ持ち帰ってくれた日本人はどんな人だったんだろう。イッペルボール!

マラルメ詩集 (岩波文庫)

マラルメ詩集 (岩波文庫)

夜のガスパール―レンブラント、カロー風の幻想曲 (岩波文庫)

夜のガスパール―レンブラント、カロー風の幻想曲 (岩波文庫)

マキノ雅弘『千石纏』と『女賊と判官』。ひさびさのフィルムセンターでした。
『千石纏』は江戸っ子の力士と纏持ちのやりとりが気持ちいい。喧嘩が原因で部屋を追い出された力士の不動山が道中、纏持ちの長次の母親の話を聞くシーン。頭を下げながら話す母親と話を聞く不動山の目線の高さを、座敷の造りをうまく利用してできるだけ等しくなるようにしている。ここで不動山が見下すような構図だったらきっと不動山のキャラクター自体もちがったように印象的付けられていたと思う。地味だけど、とっても大切なところ。最後の方でも、これまで頑固で強気だった盲目のお父さんが転んで娘に抱きかかえられ、目線…というか位置によって関係が逆転して一気に弱者となる。
『女賊と判官』は子供がうたう歌も含めて、音楽が本当に楽しい!ジャズっぽい曲もかっこよかった。二本目で少しウトウトしてしまったので、また見直したいです。

Ossos

ペドロ・コスタ『骨』。撮影はエマニュエル・マシュエル。オリヴェイラクレーブの奥方』(1999)を観たときは『ラルジャン』(1983)のキャメラだとすぐ気付いたけど、この二作品の間に撮られた『骨』(1993)は短めのショットの連なりや対象との距離の近さがどこか窮屈で、『クレーブの奥方』とも『ラルジャン』とも全く違った印象を持ちました。もちろん作品に合った窮屈さです。

スラム街を歩く長い移動ショット。何の説明もなくとも、父親が左手に持った黒いゴミ袋の中身が赤ん坊だということに観客はすぐに気付く。いや、「気付く」というより、ほとんど反射的に「ゴミ袋=赤ん坊」と読み取る、と言った方が近いかもしれない。凄いを通り越して恐ろしい。この移動ショットのあとの、人混みのなか物乞いをする場面も素晴らしかったです。

Amerika, rapports de classe

近所の大学図書館ストローブ=ユイレ『階級関係―カフカアメリカ」より』。ストローブ=ユイレの長編を観るのは久々。恥ずかしながらカフカの原作を読んでいないから不確かな記憶だけど、たしかブルネルダのところで軟禁される章が原作では未完で、次のオクラホマ劇場の章からふたたび書かれていたはず。映画でもブルネルダの部屋からどうやって脱出したのかは語られずに、カールはなぜだか外にいてオクラホマ劇場の求人ポスターを見つける。もちろん、単純に「原作にできるだけ忠実に作った」というだけの話なんだろうけど、このぶったぎった感はカフカの夢の感じにとても近かった。そしてわたしは冒頭、カールと火夫の会話シーンだけでもう正座して観たくなりました。やはり彼らは偉大です。
『階級関係』観ながら、「『すべての革命はのるかそるか』について書くなら今しかないんじゃないの」と思った。ぜんぜん暇ではないけどさ。卒論の後半、本当はイデーとアスペの関係→「挿絵入れるなら映画にしとけよ。そのコマ繰りが本の代わりになってくれるぜ」(byマラルメ)→『賽の一振りは決して偶然を廃棄しない』とストローブ=ユイレの『すべての革命はのるかそるか』について…という流れで無理やり映画について言及にしたかったけど、できなかったので。マラルメさんのこと忘れないうちに、色々書きたい。